2020.08.05 06:39hiroshima note 悼む小学6年生になると、8月6日の慰霊式に参加しました。テレビで中継されるものとは違い、亡くなった児童と教師の碑の前で行われるものです。小学生は小学生を悼むのでした。学級委員みたいなものをやっていたので、千羽鶴を捧げ、わたしは6年間折り続けた鶴の行く先を知りました。はじめての8月6日...
2020.06.24 08:33hiroshima note わたしがちいさかったときにこの本を見つけたとき母が「ばあちゃん(母の母)が買うてくれたんよ」と教えてくれました。わたしがこの本を取り出すと、今でも母は同じことを言います。祖母の家の古い本棚からこの本を抜き出したのは、タイトルがひらがなだったからでしょうし、何よりそこに、いわさきちひろの絵があったからです。...
2020.06.12 10:58hiroshima note かたりべさん小学校のみんなで資料館に行った日は、語り部さんのお話を聞くことになっていました。わたしが具体的に覚えているのは、資料館の地下に降りたところで「かたりべさんってひとの名前なんかね?」と一緒に歩いていた女の子に尋ねたことと、一番前の席に座ったときのちょっと恥ずかしいようなそわそわした...
2020.06.06 11:16hiroshima note 原爆資料館初めて訪れたのは家族と。それから小学校の授業でも行きました。投下直後の様子を表した人形へ続く道は薄暗く恐ろしく、キャーキャー言いながら進み、8時15分で止まった腕時計真っ黒になったお弁当影が焼付いた石段さだこさんの小さな折り鶴地球儀に赤い鉛筆みたいなものがたくさん刺さっていて、そ...
2020.05.21 05:15hiroshima note そこにある言葉小学校の社会の教科書です。広島菜、かきのようしょく、市内電車…原子ばくだん。写っているのは広島の平和公園にある原爆慰霊碑、遠くに原爆ドームも見えます。写真の碑に刻まれている文字を読もうと目を細めても、よくわからなかった。安らかに眠ってください過ちは繰返しませぬからわたしはいつの間...
2020.05.14 04:33hiroshima note 平和5月になると、フラワーフェスティバルに行きました。大きな道でパレードがあり、色とりどりの花が鮮やかななか、たくさんのお店が出ます。わたしは大好きだったマスコット「咲ちゃん」のお人形を買ってもらったような気がします。大きな道、は平和大通り。通り沿いに平和公園があり、公園から平和大橋...
2020.05.09 10:39hiroshima note げんしばくだん古田小三年 向井富子げんばくでしんだおとうちゃんどんなになってしんだのよ。どうして早くうちにかえらなかったのよ。こころのやさしいおとうちゃんどうしてわたしをおいてしんだのよ。おかあちゃんはおとうちゃんのかわりにくみあいにいっているおにいちゃんはしんぶんくばりにいっているどうしてひ...
2020.05.09 10:36hiroshima note 8月6日夏休み中ですが、8月6日は多分、登校日でした。多分、というのは、はっきりと画が浮かばないのです。みんなで黙祷したのが運動場だったのか、教室のなかだったのか。わたしの通った古田小学校は爆心地から離れていました。偶然街中へ出ていた児童が居たかはわかりませんが、家族を亡くす子どもは在り...
2020.04.30 05:29hiroshima note つると、さだこさんわたしは戯曲「父と暮せば」(作:井上ひさし)の美津江が陸上部で駆け回っていた、というところを読むと、かけっこの速かったさだこさんを思い出します。小さなころ被爆した佐々木禎子さんに原爆の影響が表れたのは、ずっと大きくなってから、小学校の上級生になってからでした。鶴を千羽折れば願いが...
2020.04.21 05:52hiroshima note つるを折るある日一人一枚折り紙が配られて、鶴を折りました。クラスのみんな、色は同じだったような気がするから、多分学年で色が違って、先生たちの分も合わせて、千を超える千羽鶴になっていた。わたしの出た幼稚園が折り紙ばかりするところだったから、後ろを向いて教えてあげたり、わが同園生(という言い方...
2020.04.15 07:00hiroshima note 青い空1945年8月6日の朝は、空が青かった、と多くの被爆者が語っています。その空が一つの爆弾によって一変し、祖母は遠い別の町から、広島の方の空が黒くなるのを見たと言います。わたしの、よっつめのヒロシマの言葉たちのなかに出てくる「青い空は」は、小学校で習った歌で、教科書ではなく、プリン...
2020.04.15 06:53hiroshima note ひろしまノートこれは、わたしとわたしのヒロシマの言葉たちを形作ってきた様々。大江健三郎さんの『ヒロシマ・ノート』には似ても似つかない小さな小さなノートです。広島の友人たちが読んだら「そんなこと知っとるわ」と言うだろうし、「うん、うん、うちもそうじゃった」と頷いてくれることも、あるかもしれない。...