hiroshima note 青い空

1945年8月6日の朝は、空が青かった、と多くの被爆者が語っています。

その空が一つの爆弾によって一変し、祖母は遠い別の町から、広島の方の空が黒くなるのを見たと言います。


わたしの、よっつめのヒロシマの言葉たちのなかに出てくる「青い空は」は、小学校で習った歌で、教科書ではなく、プリントが配られたのだったと思います。

小学校を卒業してから、わたしはずっと歌詞を間違って覚えていたようで、そんな意識もないまま東京の空のしたで「青い空は」を歌い、最後には歌詞が分からなくなってしまった。すると傍にいた兄が教えてくれ、継いでくれたのです。


「青い空は青いままで子どもらに伝えたい」

わたしの知っている広島の夏の空は、青々と広がり、肌がこげつくようです。



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