小さな言葉たち はじまりに
あれはもう、いつだったか、確かなのは、役者がヒロシマを語ることがうそっぱちにしか思われず、もはや舞台に立つこと自体を嫌悪していた、そんなときだった。
芝居から離れたいわたしは東京に居る必要もなく、理由を作っては帰省していた。その日は何をしていたのか、もしかしたら舞台のオーディションの帰りだったかもしれない。舞台に立ちたくないのも本当なら、どうにかしてまた「立ちたくなりたい」のも、本当だった。そのきっかけを探してはうんざりした。
日も暮れた平和公園を通って、わたしは家に帰ろうとしていた。橋を渡り川沿いを歩き、バスセンターに向かっていた。
ふと、原爆ドームの柵のなかに誰か居るような気がした。白い服を着た少女だと思った。
どうしようもなくうれしかった。わたしには聞きたいことがあったのだ。
例えばこういうことではないかと思う。ヒロシマの土の上で育ったわたしが、話せるとしたら。
振り返り見つけた白い柱に、笑いながら涙をぬぐった。
考えればヒロシマは、世界の歴史のなかの大きなことで、また、個人的なことだ。家族を失った話しを誰が公にしたいだろう。ほんの小さな別れだって、わたしたちは簡単には口にしないのに。
もう見たくないであろう原爆ドームを、未来のわたしたちのために残してくれたことを有難く思う。
有難く思うわたしは、被爆者と距離がある。その距離がいつもわたしを不安にさせるけれど、その離れた距離から言葉を紡いだらどうなるだろう。祈るように紡げないだろうか。
失ってしまった命に会いたい。
わたしは彼らに会いたかった。
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