あたたかなころ

ふらりと集える場所で

わたしのヒロシマの言葉たちと、あなたの詩や絵や写真や歌や芝居や、想像もつかない何か、を、さらに別のあなたに見てもらいたい。それは一つの言葉に対する5人の何かなのか、たくさんの言葉に対する一つの何かなのか、わからない。

共感なのか、ちょっとした関心なのか、「なぜこのひとはこんなにヒロシマに必死なのだろう?」そんな疑問も在るかもしれない。否定的なのもあるかもしれない。けれどもつまり、あなたがわたしの言葉に触れたということ。


もしも誰か一緒にやってくれるならば

ここで出会った沢山のひとと、わたしの広島への想いがぶつかったとき、何が生まれるんだろう。


ひとまずは、わたしとあなたが出会ったわけだから


社会とか世界とかではなくて、わたしとあなたでしかないということ。

未来のために、核をなくしたいということ。戦争をしたくないということ。そのために、まずわたしができること。


わたしのヒロシマの言葉たち×あなた


沢山のあなたとご一緒できますように。

あなたが別の「あなた」を連れてきてくれるなら、とてもうれしい。


笹本志穂 / Shiho Sasamoto

1945年8月6日、世界で初めての原子爆弾が広島に落とされました。それから広島はヒロシマとなり、核の恐ろしさを訴えてきました。

1988年広島で生まれたわたしは、まだヒロシマのために何もできなかった小さな頃教わって折鶴を折り、中学からは原爆ドームの傍を通学するようになりました。

足元には命の埋まった土があり、川があり、あの青空がありました。被爆者たち、その子どもと孫たちが、傍に居ました。


これは被爆者が語るヒロシマではなく、あくまで広島で生まれ育ったわたしの目線から生まれたヒロシマの言葉です。

あまりに拙く、詩にもエッセイにもならないけれど、ほかの誰か(あなた)が触れたとき、水に落ちた葉が水面を揺らすようにささやかに、何かが生まれるかもしれない。そんな願いから企画しました。

わたしは、ヒロシマをもう二度と繰り返さないためにこれをやりますが、あなたの答えは違うかもしれない。
あなたの返答を、あなたにとって一番の方法で表現してほしいと思います。

絵画、音楽、芝居など、表現方法、作品数は問いません。それがギャラリーに収まらなければ、相談してまた新しく企画しましょう。


お問合せ

Mail:saji.hiroshimawords@gmail.com

Twitter:https://twitter.com/shihonosaji

One summer morning in 1945,

from blue sky,

above my city,

the first atomic bomb was dropped.

Then my city has become famous hitorical Hiroshima.

I was born in 1988, and grew up there.

There are some little words in my small notebook.

They can't be an essay or a poem, they are just little words which can't be anything.

I have had dought to talk about Hiroshima on a stage as an actress. And now I've found that I should talk my Hiroshima which is different from Hiroshima written by Hibakusha.

These are just some notes I started to write when I was a junior high school student. Under that blue sky, on that ground, by that river, I was one of Hiroshima children. Even now in Tokyo, I am.

I wish you feel something from these words and give me a letter. May be it could be a poem, song, photograph or a paint, something you love. And I want to show all of them at a gallary or somewhere unexpected.

Tell me your story.